私のからだが教えてくれたこと

日々の気付きや暮らしの手仕事のこと

足もみ記録②

初めて拷問マット(正式名称:ウォークマットⅡ)に足を載せたのは、まだ20代の頃だった。
マッサージ業をしていた知り合いの家で「乗ってみ」と言われて軽い気持ちで足をおいたその瞬間思わず「ギャー」と叫んですぐに降りてしまった。
恐ろしい器具…!と思ったけれど、その後なんやかんやで自分用にマットを購入し、踏み踏みするようになると、案外普通に踏めるようになった(時々激痛スポットに当たって悶絶するけど)。
しかし、購入時に付属していた説明書(上級者向け)通りに踏み進めようとしても、痛すぎてコンプリートできない。
そして、説明書に書いてある内容が厳しすぎて笑ってしまう。
「歯を食いしばってでも20分踏み切る」とか、痛みを和らげるためにタオルを敷くことについては「最初から無しで行って下さい」とか。

もはや足揉み教。
必要なのは、信じる気持ちと忍耐力のみ。
前向きに信じてやるほうが、疑いながらやるよりも、効果はあるはず。

 

【2週間~1ヶ月】

諸事情により、1~2日休むことはあったものの、ほぼ毎日せっせと揉んでいる。
ウォークマットは、本を読みながら踏むと20分あっという間に過ぎることがわかった。ただ、読書に集中していると踏む足が止まる。かと言って、ガシガシ踏んでいると時々激痛スポットに当たって本を落としそうになる。

腓骨沿いをめのうでゴリゴリしていたらアザができた。痛みはないので気にせずも見続けていたら、2~3日で消えた。
外くるぶしの少し上に頃っとした塊のようなものがあっていつもそこで引っかかっていたのだけれど、だんだん塊が小さくなってきて引っかかりも少なくなってきた。
左足裏の膀胱のあたりの砂袋?も徐々に小さくなってきた。
と言っても、足裏を棒で揉むとまだまだそこら中ゴリゴリ・ジャリジャリしている。ウォークマットだとそこまでは感じられないけれど、棒で揉むと細かい変化がわかって楽しい。

体調は、今までになく動ける日が出てきた。
1週間目くらいで出た謎の蕁麻疹も3週間位経つとなくなった。
2年ぶりくらいに往復40分位かかる公園まで散歩できた日には、じ~んと感動してしまった。ただ、弱った足腰にはだいぶキツかったようで、かなり疲れが出てしまった。
憧れのサンティアゴ巡礼までの道のりはまだまだ遠い…

少し元気になってきたのが足揉みのお陰かは分からない。
それよりも、次々と出たり消えたりする症状をあまり気に病まずに過ごせていることのほうが大きい気がする。
以前は、体調の僅かな変化にも一喜一憂して、とにかく気持ちが振り回されすぎてしんどかった。
ただ、元気になってきた反面、動いた分だけ体もしんどくなっているし、不快な症状もそれなりに出ている。
とにかく、今までも理由なく良くなったり悪くなったりを繰り返しているので、効果についてはあまり気にせず過ごしたい。

 

足もみ記録①

今まで何度か足もみ(官足法。めちゃくちゃ痛いやつ)に挑戦してきたのだけど、長続きしなかった。

結局、自分が悩んでいる症状に関しては効果を感じられなかったからだ。

効果がなかったのは、もみ方がたりなかったからだ、と言われればそうなのかもしれない。自分でやるとどうしても手加減するし。でも、本当のところはよくわからない。

だけど、友達から「足もみで辛い症状が楽になった!」という話を聞いて、もう一回やってみよっか、という気になった。

以前やっていたときも、血行が良くなることは実感していたし(膝のカサカサがきれいになった)、別に体に悪いことではないので、気楽な気持ちで、でも粘り強くやってみたい。

 

基本は夜、お風呂上がりに、ウォークマットを20分→棒orかっさで気になる反射区や足の甲側を揉む→膝上まで揉む→左右ぃ一杯飲む

これやると、両足で1時間弱かかるんですけど…

時間がない時はウォークマットは省略し、棒で最低限の部分(腎臓など)を揉む。

棒だけで全てやろうとすると、とにかく腕が疲れる。

体調が悪い時は気にせずお休みする。

 

【~2週間】

だんだん寒くなってきて、足も冷たく固くなっているためか、ウォークマットを踏むとあちこちが痛い。お風呂上がりすぐだとまだ楽。

特に副腎のツボが激痛。激痛だけど、押さずにはおられないっていう謎。

かかと、親指の付け根、腓骨沿い、棒で揉むとあらゆる部分にゴリゴリ・ジャリジャリがあるのがわかる。これって本当になくなるんだろうか。膀胱らしき部分には、プチトマトぐらいの砂袋のような塊がある(特に左)。

揉んだあとは足がぽかぽかして気持ち良い。靴下無しで眠れる。

1週間ほどして、お腹~胸にかけてひどい蕁麻疹が出た。足もみのせい?それとも、巷で言われているシェディングってやつ?

と言っても、蕁麻疹の原因はわからないことが殆どのようだし、体の中で何かが戦っているんだなと思っておく。

が、なかなかスッキリ治まらない上、乾燥性のかゆみも加わって辛くなってきたので、皮膚科で内服薬と保湿剤をもらう。足もみ的には薬は逆効果なのかもしれないけど、痒いのは辛い。最低限の服用を心がけるつもり。

それ以外で特に気になる変化は無し。

よく眠れるようになった、とかあればよいのだけれど。

 

所有について

私は手を動かしてものを作ることが好きだし得意だから、作ったものを人にプレゼントして喜ばれると素直に嬉しい。
それで少し調子に乗って、他にも必要としてくれている人や気に入ってくれる人に届けられないだろうか?つまり、売れないだろうか?と考えて、このところ著作権意匠権等、ライセンスに関わることについて考えたり調べたりしていた。

正直、しんどくなってしまった、、

法律等に詳しくない私は調べて理解するという作業自体がしんどいのはもちろん(体調が良くたってしんどい)、今の世の中で当たり前になっている所有や権利の考え方に気持ちが疲れてきたのが大きい。
勿論、自分と相手を尊重し守るための大切な考え方だとは分かっているのだけれど、時にむき出しの損得感情が見えてきて、それがギスギスとした気持ちにさせるのだ。

わたしのもの、あなたのもの、そうやって主張していると、どうしても争いが起きる。

私は自分の経験から、どうせ死ぬ時には目に見えるものも見えないものも何にも持っていけないんだから(そして遅かれ早かれその日は必ずやってくる)、何かを所有することや自分のものだと主張することにこだわり過ぎると、ただ本人が苦しいだけのような気がしている。
強く握りしめるほどに手放すのは辛く大変になる。
多くを持たない人の方が、気楽で幸せに生きられるのかもしれない。

現代の婚姻や家族の制度も、所属+所有の考えがあると思う。私には結婚というものがどうにもしっくりこないのはそのせいかもしれない。
パートナーに、「おまえは俺のもの」なんて言われたら、胸がキュンとするどころか背中がゾッとしてしまう。私は誰のものでもない。私のものですらない。(だからといって、別にパートナーを複数持つことを勧めているわけじゃなくて、そのへんはまだ私の中で考えがまとまっていない。そもそも個人的な話だし、めいめいが納得のいくように、幸せなようにすれば良いと思っている)
子供についても、虐待する親なんていうのはもっての外だけれど、たとえ可愛がるにしてもまるで自分の愛玩物のように扱う親も、子供は自分とは違う独立した人間だということを無視していて、何か違うと思う。

スペイン巡礼に行った友人がとても素敵な話をしていた。巡礼路のとある寄付制の宿の寄付箱に、「持っている人は入れて下さい、必要な人は持って行って下さい」と貼り紙がしてあったそう。

社会が混乱しないように所有する権利や制度は保ちつつ、でも損得勘定に走りすぎず、いろんなことを必要としている人達で共有できるような、思いやりのある優しい世の中になると良いなと思う。

そのためにはやはり、突き詰めて考えると「自分のもの」というのは何もないということ、また、分け合うということが心をあったかくしてくれると知ること、が大切ではないかと思った。

***

ライセンスのこと以外でも、ものを売るとなると、準備しなければいけないことが山のようにあり、ちょっと疲れてしまった。
今は大きな計画はひと休みして、今は身近な人が喜んでくれるようなものづくりを自分ができる範囲でやろうと思う。

ヘアドネーションのその先(反省談)

note記事(2022/8/21)より転載

*****

前回、ヘアドネーションで社会貢献できる、という記事を書いたが、どの団体に寄付しようか?と、いろいろ調べていく中で、ハッとさせられた記事があった。

記事には、2009年からヘアドネーション事業を行っているNPO法人 JHD&C(ジャーダック)代表理事の渡辺さんへのインタビューが載っている。

ヘアドネーションというものが多くの人に認知され、活動が広まっても、事業を通じて渡辺さんが本当に伝えたいことーウィッグを渡しただけでは何の解決にもならないーは、メディアの取り上げ方もあり、なかなか伝わらなくてもどかしい思いをされてきたようだ。
また、事業自体が髪のない人を傷つける事につながっているのではないか?という葛藤や、ウィッグを作るための作業や管理の大変さも知ることができた。

ヘアドネーション=美談?
良いことをした気分になって満足していないか?
無意識に「かわいそうな人」を作り上げていないか?
etc.,
そう、私の善意は、確かに善意では有るけれど、社会のマジョリティー側から見た、おごった態度でもあった。(ましてや、自己肯定感を上げることにもつながるよだなんて、自分のことしか考えてない恥ずかしい発言…)
反省…

確かに、ウイッグをつけることで人目を気にしなくなったり、気持ちが前向きになったり、社会生活がずっと送りやすくなったり、必要としている人はたくさんいるだろう。
でも、それって、根本的な問題を置き去りにしている。
本当は、髪が有ってもなくても、その人が自分らしく生き生きと暮らしていけることが一番なのだから。

理想は、必ずしもウィッグが要らない社会だそう。(それはヘアドネーションの団体が要らない社会でもある)

それは、髪がある人もない人も、他にも色んな個性を持った人みんなが生きやすい世の中だろう。

私の髪はカラーもパーマもしていないストレートのバージンヘアだったので、当初はウィッグ用の髪に薬品処理をしない団体に寄付しようと思っていた。

が、この記事を読んでちょっと悩んだ末、渡辺さんの考えに共感でき、大切な気づきを与えてくれた、という感謝を込めて、最終的にジャーダックさんに寄付した。(お手数をおかけします)

渡辺さんの想いを心に留め、無意識の差別をしていないか?本当に正しいことなのか?誰かを傷つけていないのか?ちょこちょこ思い出すようにしよう。
そして、大切なことを記事にしてくれたランドリーボックスの西本さん、ありがとうございます。

寝たきりだって社会貢献

note記事(2022/6/16)より転載

 

 

先日ついに、生まれてはじめて腰のあたりまで伸ばした(というか、伸びた)髪の毛を切った。
ヘアドネーションをするためだ。

* * * * *

2年前の冬、体調がものすごく悪化し、ほとんど動けず半寝たきりみたいな状態になった。庭に出るのも精一杯で、もちろん美容院になんて行けず、それ以来、髪は伸ばしっぱなしだった。

しんどくてただ横になっているだけの毎日。
苦しくて、もどかしくて、情けなかった。
でも、ただ寝てるだけでも、勝手に髪は伸びるし爪も伸びる。
あまりのしんどさに私の心は消耗して抜け殻のようになっていたけど、私の体は生きてるんやな、生きようとしているんやな、と布団の中でぼんやりと思った。

「何にもしてへんのに髪だけは無駄に伸びる」

恨めしそうにそうこぼした私に、母が言った。

「ほんならもうドネーションしたら?」

母、グッドアイディア!

寝ているだけで何もできない、周りに迷惑かけるばっかりで何の役にも立たない…虚しく思っていた私は、この一言で心がパッと明るくなった。
パーマもカラーもアイロンも何にもしていない私の素髪はドネーションするのにぴったりだ。

「私は、髪を必要としている誰かの為に伸ばしているんだ!」と思うことにした。
たとえ本当のところは、切りたくても切りに行けない、だから伸びているだけ、なのだとしても。

髪を切る前日の夜、いつもよりも丁寧に洗髪した。なんだか愛おしさまで感じてきて、そんなことは初めてで、自然と頬がゆるんだ。
髪は死んだ細胞だって言うけど、苦楽を共にした大切な私の一部。(苦>楽、かな)
その一部が誰かの一部になるのかもしれない、と思うと、不思議な気持ちだった。

当日の体調は、緊張のせいもあってイマイチだったけど、何とか気持ちを奮い立たせて、一時間の美容室を耐えた。
ばっさりショートにすると、頭だけでなくて心も、そして不思議と体調も少し楽になった!

* * * * *

本当は、私は何にも出来ない・役に立たない、って自分を責めたりする必要なんて無いというのは、頭では分かっている。
だって、考えてみれば、ただ生きているというだけでもすごいことだし。
でも、いわゆる「貢献感」が欲しかったんだなぁ。

もし私みたいに無力感に苛まれている人がいたら、そしてもし髪があるなら(※)、ヘアドネーションしてみませんか。

あなたは、ただ生きてるだけで、実際問題、誰かの・何かの役に立つんです。
だから、自信を持って、生きてて大丈夫なんです。

※ウイッグを作れるほど量が無かったり、髪の状態によってはウイッグとしては使えないケースもあるようですが、ヘアカラーのサンプル用等に使ってもらえたりもするみたいです。詳しくは各事業者のホームページ等をご確認ください。

うわっぱりを作ってみた

ちょっと前に、母が新しい割烹着が欲しいと言うので作ったのだけど、色が白っぽかったので「汚れが目立つ」とクレーム?が出た。

で、押し入れの整理をしている時に、お祖父ちゃんの遺品であるカビ臭くなった生地が(お祖父ちゃんはテーラーだった)、赤と紺のタータンチェックで汚れても目立たないし、厚みも程よかったので水屋着にちょうど良いやん!ってことになった。
ただ、割烹着だと微妙に用尺が足りなかったので(割烹着は意外と布が要る…)、代わりにうわっぱりを作ってみた。
背中が暖かいし冬にぴったり。

 

参考にしたのはこちらの本。

www.artbooks-shikosha.com

 

他の和裁本と比べてかなり値段の張るものだけど、本当に情報量が多くて、読んでみるとそれだけの価値の有るものだなと思った。
随所に仕立てのポイントや和裁・着物の知識がちりばめられていて、著者の「本物の和裁を後世に伝えていきたい」という情熱が伝わってくる。


と言いながら、私が必要な部分は少ししかないので、図書館で借りてきましたm(_ _)m

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丈夫さ優先で一部ミシン縫い。

出来上がって母に羽織ってもらったら、なんか居酒屋の店員みたいになってた(汗)
振りも無いデザインなので、正直甚平との違いがよく分からない。

衿肩空きを丸く切り取っているので、衿付けも楽に綺麗に出来た。
今まで浴衣や単を何枚か縫ったけど、なかなか綺麗に衿付けが出来なくて何度も縫い直しをしていた。
でも、これで何となく衿付けのコツが分かった気がする。
ただ、著者の先生は「着物の時は真似しないで下さいね(繰り回ししないものに限ってOK)」と念押しされていた。
そりゃそうですね。
着物って、無駄を省いて長く着られるようにと本当に良く工夫されている。環境への配慮とデザイン性を備えた素晴らしい衣服だと改めて思う。(もちろん、生地の生産工程にもこだわれば更に素晴らしい)
着物ってどの年代でも絶対に似合うし、お洒落が難しい中途半端な年齢の時には、着物で過ごすのも良いかもしれない。デザインを選ぶ必要は有るかもしれないけれど、基本的に普段着は自由で良いし。
で、手が上がらなくなってきたり腰が曲がってきたら、機能的な洋服に戻すと。
どうだろうか。

飾り紐の付け方も本の通りにしたけど、上前のポチも内側じゃなくて外側に付けた方が見た目が良い気がするなぁ。
世の中には色んな付け方の物が出回っていて、正解は分からない。

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付け紐の位置を決めるために一度羽織って貰ったのだけど、その時ふっと子供の頃を思い出して懐かしくなった。
昔は母親がよく服を縫ったり編んだりしてくれたので、サイズ調整の時にはこうやって試着していた。
今、同じことを逆の立場でしている。
想像してなかったな。
自分の子供に作ってあげるかもしれないとは思っていたけれど。

これから、もっとそういうことが増えていくのかもしれない。
普段の生活で手を差しのべることが少しづつ増えてきて、その度にまたこうやって幼い頃の事を思い出すのだろうか。

ともあれ、大切な人のために何かを作れるということは、嬉しいことだ。

出来上がったうわっぱりは切りよく年明けから着てくれている。

お祖父ちゃんも、やっと余り生地が活用されたことだし、喜んでくれてると良いな。

栄養療法について

私が経験した栄養療法について書いてみる。

 

これと言った治療法が無いまま、2020年になっても日々痛む体をなだめながら過ごしていた。

そんな中、栄養療法というワードが心に引っかかるようになった。

鉄とタンパク質で健康になれる説(?)で有名な先生の本を読み、思い切って栄養療法を標榜しているクリニックに行ってみた。

藁にもすがる思いだった。

高額な血液検査をし、高額なサプリメントを提案された。無理矢理買わされたのではないけど、ここまで来たら買うしかない。

結果、何も変わらなかった。

栄養療法というものは、そんなに単純なものではないと学んだ。

が、人間は食べたものから出来ている以上、栄養をバランスさせることはきっと大切なんだろう、何かの突破口になるかもしれない、という思いがずっと頭から離れずにいた。

 

12月、いよいよ体調が悪化してどうにもならなくなった私は、再び栄養療法にトライしてみたくなった。

遺伝子栄養療法というものだ。

主に自閉症の治療を目的とした回復プログラムだが、他の様々な(神経)炎症性の疾患に応用できるとされている。

「自然な解毒である体のメチレーション機能を回復させることで不調の改善を促す」という説明に、「これで根本的な解決に近づけるかもしれない!」と心が踊った。

ただ、今まで体に良かれと思って食べていた物が真っ向から否定されていたりもして、初めは少し戸惑った。

それに、私がそれまで知っていた栄養療法と違いとても複雑なものだったので、なかなか理論を理解するのが難しかったけれど、少しづつ学んでいくと、なるほどと納得できることも多かった。

何より、人の体には個人差があることを前提とし(当たり前だけど)、血液検査だけでない詳細なバイオロジカル検査や遺伝子検査を行った上で個々に必要なサプリメントを選定すること、メガドーズでのサプリメント摂取は否定していることが私の気持ちにマッチした。

ただ、実践にはかなりのお金がかかることがネックだった。

無職の私には大きな賭けのように思えて、しばらく二の足を踏んでいた。

でも、あまりにも体がしんどかったし、他に何も方法が思い浮かばないし、ちょうど遺伝子栄養療法のカウンセラーさんが割引キャンペーンをして下さっていたこともあり、「これは後押しに違いない!」と思い、思い切ってやってみることにした。

 

で、結果的に、私には合わなかった。

検査結果に基づいて提案される大量のサプリメントが、私の体では消化しきれなかったのだ。(本心では大量のサプリを飲みたくはなかったから、当然の結果と言えるかもしれない)

 

合わなかった、と言うと、カウンセラーさんは、「ちゃんとやりきっていないからだ、理論的には効果があるはずだ」と反論するだろうけど。(これはどの治療者も同じ。自分のやっていることを信じているし自信を持っているから仕方がない。)

 

わずかな希望にすがって、体がしんどい中、たくさんの労力とお金を費やしたので、虚しさが無いと言ったら嘘になる。

でも、自分にとって大切な学びがあった。

 

【お金の使い方】

→子供の頃からお金に対する変な執着や思い込みが昔からあり、それが嫌でずっと心に引っかかっていた。

それが、自分の価値を感じるものに対して気持ちよくお金を使えるようになってきた。以前はお金を払う時、「減った」や「もったいない」という気持ちを強く感じていたけど、今では「減っていない(お金→物や事に姿が変わっただけ)」し、しかも「必要な物や事に交換できてありがたいなー」と感謝の気持ちも湧くようになった。

そして、金額の過多にはあまり左右されず、自分がそれに本当に価値を感じるか?ということを軸にお金を使えるようになった。

これは私にとって結構大きな変化だ。

 

【意識の使い方】

→自分の意識の焦点をどこに合わせるかで、しんどさの体感が違ってくると実感した。

引き寄せの法則とかスピリチュアル系の話でまさにそういうことが言われているけど、「なるほどこういうことかー」と、腑に落ちた。

 

これらはカウンセラーさんと何度もやり取りをする中で、自分の中で少しづつ消化されていったことだ。

単に栄養の知識だけでない大きな学びを得られたこと、カウンセラーさんには感謝している。

だから、治癒に繋がらなかった栄養療法の経験も、それはそれで良かったな、と思っている。

新しい知識を得るという刺激、海外とのやり取り、関わってくれた人達の優しさetc.,全て良い思い出だ。

何より、一見失敗の経験を失敗と捉えずに前向き・もしくはニュートラルに捉える、そういうことが自然と出来るようになってきていることが一番の良かったことかな、と思う。

 

また、この遺伝子栄養療法で救われる人が一人でも多くいるように願っている。