私のからだが教えてくれたこと

日々の気付きや暮らしの手仕事のこと

音楽に救われる~リュート~

note記事(2021/5/28)より転載

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体調を崩す一年位前に、リュートという楽器を習いはじめた。(残念ながら今は続けられなくてストップしている)

リュートというのは、琵琶みたいな形をした撥弦楽器で、大体16~17世紀頃にヨーロッパでとても流行っていたようだ。

いわゆる古楽器で、ピアノやギター等と違って知らない人も多いマニアックな楽器だけど、今も世界中に素晴らしいプロの演奏家や愛好家がたくさんいる。

なんでリュートを始めたのかというと、私は学生時代6年間吹奏楽部にいて、下手くそだったけど楽器を奏でることは好きだった。

卒業してからも、ずっと何か楽器をやりたかった。音がうるさくなくて家で好きな時に弾けること、誰かに聴かせたいわけじゃないので一人で弾いて完結できること(=合奏する必要がない)、音色が優しい、等の条件を満たしてくれる楽器をずっと探していた。

ある時、時々聞いていたラジオの語学講座のオープニングにリュートっぽい音楽が使われていて(後に違うということが分かるのだけど、この時はリュートと思い込んでいた)、それを聞いて「これやりたい!」と思い立ち、近隣で教えてくれる教室を探して、勢いで始めたのだ。

撥弦楽器は初めてだったこともあり、思っていたよりも難儀した。

すぐに狂うチューニング、五線譜とは違う見慣れない楽譜、2本の弦を一緒に震わせること…私が憧れていた優しい音色でちゃんと「音楽」を奏でるのはなかなか遠い道のりだった。(未だに3つ以上の和音は弾けない…)それでもトーク上手の先生の導きで楽しく、マイペースで習っていた。

何事においてもそうだと思うけど、先生との相性は続けるモチベーションとしてかなり大事な要素で、同年代の先生とのレッスンはとても楽しかった。

むしろトークの方が楽しみだったかもしれない(先生ごめん)。

当時自分の周りにはほとんどサラリーマンしかいなかったけど、先生や他の生徒さん等、全然違う世界で生きている人達と触れ合うことも刺激的だった。

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ずっと楽器を構えているとその姿勢のせいで体の痛みが増すので、体調を崩してからは楽器を殆ど触れなくなってしまったけど、たまに調子の良い日は取り出して弾いてみたりする。優しい音色にホッとする。

弾いてるときはものすごく集中していて、体調のことを忘れてしまう。

何かに意識を集中すると、他の感覚が無くなってしまう。

有るはずなのに、無い。

「意識を向けたものしか存在しない、ってこういうことか!」と腑に落ちる。

そう思うとつまり、「体の痛みやダルさを忘れるくらい何かに集中していれば、私の体の問題は消えてしまうのではないか?」と思ったのだけど、体の苦痛はなかなかそう簡単に気をそらさせてくれない。

でもこれはとても重要なことのような気がして、集中力を保つ何かいい方法がないかなぁ、と模索している。

とにかく、リュートは苦しい時期を乗り越えていくために、短時間ではあっても、とても救いになっている。

体調を崩す前に始められたのは本当に良かったと思う。体がしんどくて弾けない時でも演奏を聴いて癒されている。

こうやっていろんな物事が私を支えてくれている。