私のからだが教えてくれたこと

日々の気付きや暮らしの手仕事のこと

音楽に救われる・浜田真理子

note記事(2021/6/7)より転載

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以前は、私にとって歌は、メロディー>歌詞で、メロディーさえ気に入れば、それが何について歌っていようがほとんど気に留めていなかった。

それが、体調を崩して心がどんどん病んでいくにつれ、自分を励ましてくれそうな歌をやたらと探しては聴くようになり、それで歌の詩というものにじっくりと耳を傾けるようになった。

人生だいたい半ばにして、ようやく詩の持つメッセージの力を知り、今思えば、耳障りの良いメロディーを楽しんでいただけの頃は、歌というものの半分も味わえてなかったんだなぁ、とつくづく勿体なく思う。

浜田真理子の「あなたへ」という歌を聴いた時、これは「私=あなた」、つまり、私から私へのメッセージだと思って聴いていた。

とてもシンプルな歌詞だけど、しみじみと心に響いた。 

「何かになりたいとあなたは言う」

「何かが足りないとあなたは言う」

サラリーマンだった頃の私は、毎日何かに追いたてられていた。

というか、職場環境はとても良かったし別に誰からも追いたてられてはいなかったのだけれど、勝手に自分で自分を追い込んでいた。

仕事が出来る周りの人達を見ては、「もっと頑張らなければ追い付けない」「あれもこれも出来るようにならなければ」と一人焦っていた。

そうしないと職場から見放されると思っていた。よくよく考えてみれば、私だって得意なことや出来ることはちゃんと有って、上司もちゃんとそれを認めてくれていたんだけど、自己肯定感が低く劣等感の塊だった私は、そんなことを考える余裕がなく、ひたすら自分を叱咤し続けていた。

この歌はそんな当時の私を懐かしく振り返らせてくれ、他人にするように自分にも優しくして良いんだよ、と語りかけてくれているように感じる。

当時は仕事以外でも、他人には絶対しないような酷い声掛けを自分自身にはしていたなぁと思う。

何でそんなに自分を傷つけたり否定したりしていたんだろう?

深く掘り下げてみると、物心がついたときから、何かをしないと愛されない、認めてもらえない、という条件付きの愛に心が縛られていたことに気づく。

そして、それもまた思い込みだったと気づいて、ようやく心がゆるんだ。

「だれでもないあなたがそのまま好きです」

ようやく、自分自身をちゃんと認められるようになって気づいたのは、今まで他人へ優しくしていたつもりでいたけど、それも本心ではなかったということ。

「他人には優しくあらねば」という強い気持ちがそう振る舞わせていただけで、実は心の底の底では、厳しい評価をしていたことが少なからずあった。

人は、自分に接するように他人にも接しているのかもしれない。

自分に厳しく、他人に優しい人、たくさんいるけれど、本当のところはどうなんだろう?

今は前よりもずっと自分に優しい気持ちを持てるようになったから、本当の意味で他人にも優しい気持ちを持てるようになってきたと感じている。

やっぱり、自分の外側ではなくて内側をどうにかすることが幸せに近づく近道なんだなぁと改めて思う。