人と比べることが無意味だとようやく腑に落ちた日
note記事(2021/5/31)より転載
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「他人と比較しても意味がない」
何かしらにおいて、世間ではそう言われているし、その意味は分かるのだけれど、そうは言っても気付かない内に比較をしてしまう。
私の周りにはもう無意識に当たり前のように他人との表面的な比較で幸不幸を決める人達がいっぱいいたし、そこに見え隠れする嫉妬や不満といった負の感情にちょっと嫌な気分を感じながらも、私自身も同じように他人と比較をしてはモヤモヤした気分になっていた。
それが、体調を崩して、酷い痛みやダルさに苛まれるようになって、他人と比べることの意味の無さを、ようやく腑に落とすことが出来た。
よく、辛い思いをしている人を励ますのに「もっと辛い人が居るんだから」と声をかける人がいる。(個人的にはこの励まし方はあまり好きじゃない)
私も人からそう言う風に励まされたことがあるし、自分でも「もっと苦しい状況にいる人が居るんだから自分はまだマシ」なんてことを言い聞かせていた時があった。
それはほんの一瞬心を奮い立たせてくれはした。
でも痛みに苦しむ中、そんな風に言い聞かせて、痛みが楽になるか?というと全くならないという、考えてみれば当たり前の事に気づいた。
誰かが私よりもっと痛かったとして、それで私の痛みが治まるわけではない。
痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい。
大体私の感じている痛みと誰かの感じている痛みはどっちが強いかなんて比べることなんて出来ない。
世界中の飢えている人達や明日の命さえも分からない戦地にいる人達ですら私を楽にしてくれるわけではない。(酷い言い方だけど、そうなのだ)
他人との比較の中では私は楽にも幸せにもならない。それどころか、惨めで不幸な気分になることが多い。
人生の主人公はいつだって自分でしかないし、人は皆それぞれ全く主観的な世界で生きている。
自分が苦しいと思えば苦しいし、幸せだと思えば幸せだ。
幸せも、苦しみも、その人だけのもの。
他人には推し量ることはできない。改めてそう気付けた時、人と比べることについての認識がようやく変わってきた。
頭で分かっているのと、心の底から納得するのとは全然違う。腑に落ちることで、長い時間頭を悩ませていた難しいクイズが解けたような、安堵感みたいなものを感じられてなんだかホッとした。
そもそも比較することそれ自体には善悪はないし、長年の習慣もあるので、人と比較することは完全に止められないかもしれないけど、自分を嫌な気持ちにするような不毛な比較はなるべく止めて、比べるなら過去の自分と比べるようにしたい。
その方がずっと建設的だから。