音楽に救われる・森山直太朗
note記事(2021/6/7)より転載
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会社を休職して一年近くたった頃、波はあれども、一向に回復していかない自分の体がもどかしく、「早く復職したいのに」と、日に日に焦りが募っていた。
体だけではなく心へのアプローチも、休職中は回復するために本当にいろんな事をやってみた。
今度こそはと希望をもって取り組んでも、結局は失望で終わる。
お金と時間とを無駄に捨てただけー。
そんなことを繰り返すうちに、いつしか心の中は絶望的な気持ちに支配されるようになってきた。そうこうしているうちに体調もどんどん悪くなって動けなくなってきた。
とうとう県外の病院に通うことが出来なくなり、たまたま家から比較的近い場所に新しく心療内科ができたので、そちらに転院することになった。
3回目の診察まで毎回話しながら涙を流していた私は、主治医に「うつ病ですね」と言われた。
その時は、「は?」「体がしんどいって言ってるのに何でこの医者はうつだなんて言うんだろう?」と思っていたけど、今思えば、うつ状態だったんだなぁと思う。
その頃、森山直太朗の「生きてることが辛いなら」を毎日聴いては号泣していた。
歌を聴くと、次から次に涙が溢れ出てきて止まらなかった。
歌詞の最後の言葉に励まされて日々を過ごしていた。
死ぬことが希望だと思える日が来るなんて想像もしていなかった。
そして、この歌を聴いて泣かなくなる日が来るんだろうか?もし泣かないでいられる日がきたら、その時の私はきっと幸せになっているんだろうな、と思っていた。
発症してから比較的早い段階で、体の症状と感情を分けて考えようと心がけていたけど、この頃は絶望的な気分を何故か自分でコントロール出来なくて、気持ちを立て直そうとしても、ものすごい力で絶望感に引きずられる日々が続いていた。
そのうち、「これは普通ではない」「このままではまずい」と、徐々に自分のおかしさに気が付いてきた。
主治医に「うつ病」と診断されたこともきっかけになったのだろう、ようやっと、体だけでなく心も蝕まれていることに気が付いたのだ。
そこから幸いにも体調が少し落ち着いてきて、心も落ち着いてきた。
そして、体が壊れてしまうと心も簡単に壊れてしまうんだということ、体よりも心を壊す方がずっとずっとキツイということを思い知った私は、「体を病んでも心まで病ませたくない」と、更に深く自分と向き合うようになった。
その後何度も山を乗り越え、そのお陰で、体がかなりしんどくなっても今は以前のように絶望感に襲われることはなくなった。
でも、彼の歌を聴くと今も胸がいっぱいになる。
ところで、歌はYouTubeで聴いていたのだけど、コメント欄を読んでいて気になったことがある。
それは、特に深い理由もないのに、そして人間関係にも経済的にも恵まれているし今の生活に何も不満は無いのに、生きているのが辛いとか、消えてしまいたいと思うことがある、と吐露している人が結構たくさんいたのだ。
私の場合ははっきり理由が有ったからその人達の気持ちを理解はできないけれど、どんなに恵まれた環境にいても、そんなどうしようもない気持ちになることがあるのかと思うと、やるせなかった。
そして、何不自由ない「幸せ」な自分がそんな風に思うのは罰当たりだ、と自分で自分を責めているようにも感じられて、何だか辛くなった。
本当に、どんな人でも内側には色んなものを抱えているんだなと思う。
どうかその人達が一時的な負の感情に飲み込まれずに、今ある幸せを素直に感じて、生きることに希望を見出だしていって欲しいなと、心から思う。
こう言葉にすると薄っぺらくなるのでもどかしいけど、本心からそう思う。
だって、生きられる命なのだから。