私のからだが教えてくれたこと

日々の気付きや暮らしの手仕事のこと

所有について

私は手を動かしてものを作ることが好きだし得意だから、作ったものを人にプレゼントして喜ばれると素直に嬉しい。
それで少し調子に乗って、他にも必要としてくれている人や気に入ってくれる人に届けられないだろうか?つまり、売れないだろうか?と考えて、このところ著作権意匠権等、ライセンスに関わることについて考えたり調べたりしていた。

正直、しんどくなってしまった、、

法律等に詳しくない私は調べて理解するという作業自体がしんどいのはもちろん(体調が良くたってしんどい)、今の世の中で当たり前になっている所有や権利の考え方に気持ちが疲れてきたのが大きい。
勿論、自分と相手を尊重し守るための大切な考え方だとは分かっているのだけれど、時にむき出しの損得感情が見えてきて、それがギスギスとした気持ちにさせるのだ。

わたしのもの、あなたのもの、そうやって主張していると、どうしても争いが起きる。

私は自分の経験から、どうせ死ぬ時には目に見えるものも見えないものも何にも持っていけないんだから(そして遅かれ早かれその日は必ずやってくる)、何かを所有することや自分のものだと主張することにこだわり過ぎると、ただ本人が苦しいだけのような気がしている。
強く握りしめるほどに手放すのは辛く大変になる。
多くを持たない人の方が、気楽で幸せに生きられるのかもしれない。

現代の婚姻や家族の制度も、所属+所有の考えがあると思う。私には結婚というものがどうにもしっくりこないのはそのせいかもしれない。
パートナーに、「おまえは俺のもの」なんて言われたら、胸がキュンとするどころか背中がゾッとしてしまう。私は誰のものでもない。私のものですらない。(だからといって、別にパートナーを複数持つことを勧めているわけじゃなくて、そのへんはまだ私の中で考えがまとまっていない。そもそも個人的な話だし、めいめいが納得のいくように、幸せなようにすれば良いと思っている)
子供についても、虐待する親なんていうのはもっての外だけれど、たとえ可愛がるにしてもまるで自分の愛玩物のように扱う親も、子供は自分とは違う独立した人間だということを無視していて、何か違うと思う。

スペイン巡礼に行った友人がとても素敵な話をしていた。巡礼路のとある寄付制の宿の寄付箱に、「持っている人は入れて下さい、必要な人は持って行って下さい」と貼り紙がしてあったそう。

社会が混乱しないように所有する権利や制度は保ちつつ、でも損得勘定に走りすぎず、いろんなことを必要としている人達で共有できるような、思いやりのある優しい世の中になると良いなと思う。

そのためにはやはり、突き詰めて考えると「自分のもの」というのは何もないということ、また、分け合うということが心をあったかくしてくれると知ること、が大切ではないかと思った。

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ライセンスのこと以外でも、ものを売るとなると、準備しなければいけないことが山のようにあり、ちょっと疲れてしまった。
今は大きな計画はひと休みして、今は身近な人が喜んでくれるようなものづくりを自分ができる範囲でやろうと思う。