つぶやき
note記事(2021/11/17)より転載
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ここのところ、私と似たような症状で悩んでいる人と偶然つながる。
久々に連絡を取りあった友達。
両親の知り合い。
以前同じ職場だった人。
比較的交友関係の少ない私の近くにもこうやって数えられる位はいるのだから、世の中にはどれだけ苦しんでいる人がいるのだろう。
皆、原因がハッキリ分からなくて、ドクターショッピングを繰り返している。
そして、いつまでも出口の見えないトンネルから抜け出せなくて、身体も心も疲弊しきっている。
しまいには皆心療内科へと追いやられ、取り敢えずでハイリスクな薬を出されるがままに次々と飲み続ける。(実は心療内科医も患者を押し付けられて困っているかもしれない。)
二次災害(病気が長引くと鬱を併発しやすい)に備えて、心療内科への通院はしておいても良いのかもしれないけれど。
原因が分からないと「気のせい」と言われたり、心療内科に追いやられるのは海外でも同じようだ。
こんなにも医学が発達しているのに、原因不明の病気は世の中に溢れていて、残念ながら(西洋医学の)医者にはほとんど治せない。
時々思う。
発展途上国に暮らしマラリア等の感染症にかかってあっという間に亡くなってしまうのと、先進国に暮らし原因不明の難病で何年も苦しみ続けるのと、どっちが不幸なんだろう?
コロナの後遺症で慢性疲労症候群のような症状に苦しんでいる人が多くいると聞く。私自身ずっと体の痛みや怠さに悩まされているから、その辛さを思うと胸が締め付けられる。人生の歯車が狂ってしまった、とこぼす人が居るけど、それは大袈裟じゃなくほんとにそうだと思う。
でも、これを機にたくさんの人にこの病態を認知してもらって、医療関係者には治療法の研究に力を入れて欲しいと思っている。
西洋医学だけ、東洋医学だけじゃなく、両者が協力して何か新しい治療の方向性を見つけられないだろうか。
医学だけじゃなく、生物学等、自然科学全般の協力もきっと必要だろう。
新たな回復の道筋が見つかることを期待しながら、その間自分に出来ることもいろいろあると思うので、無理ない範囲で試していきたい。
一番には心を整えること、そして生活リズムや食事にも気を配りながら、同じように辛い日々を過ごしているたくさんの人達と一緒に踏ん張っていきたいと思う。
悪くなったということは、良くなることも出来るはずと信じて。
手ぬぐいで赤ちゃん用甚平を作る&縦模様の場合のパンツ型紙の取り方案
note記事(2021/11/14)より転載、一部修正
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小さな子供がいる友達へプレゼントするために、手ぬぐい3本で赤ちゃん用甚平を作った。(洋裁を習い始めたと言いながら、時々ビーズ刺繍をしたり和裁をしたり横道にそれている。)
季節感は完全に無視だけど、こういうのは「作りたい!」という勢いが大事なので、良しとする。
※左のキウイ模様のは100均手ぬぐいで作った試作品。見た目は可愛いけど、全面顔料染のせいかゴワゴワして生地質としては悪い。繊細な赤ちゃんのお肌のことを考えると、プレゼントは出来ない。残念。
作成にあたっては、こちらの本を参照した。(上着のみ)
「きものの仕立て方 職人に学ぶ、一つ身じんべえ、浴衣から、ひとえ長着まで」小田美代子/著
ちなみに、この本は、和裁超初心者にはおすすめはしない。
私は以前和裁教室で浴衣を仕立てたことがあり、基本は理解していたので本を見ながら縫えたけど、ところどころ説明が分かりづらい。
それでも寸法が鯨尺表記の本の中では分かりやすいと思う。
cm表記でないと分かりにくくて嫌!という人が大半だと思うけど、私は最初に鯨尺で習ったためそれに慣れてしまって、cm表記だと逆に混乱してしまう。
慣れると尺貫の寸法ってすごくしっくりくるんだけどな。
とにかく、鯨尺表記のわかりやすい和裁本を探しまくってようやく見つけた貴重な一冊なので、私はお気に入りだ。
それで、問題は、パンツ。
手ぬぐい3本で作る場合、パンツは1枚で作るわけだけど、だいたい皆さん半分に切った手ぬぐいを横に使って、いわゆるショートパンツの型紙で布をカットし、ミシンで縫っている。そうすると、縦模様の手ぬぐいの場合、上着は縦模様、パンツは横模様となってしまう。
うっかり私の買った手ぬぐいは縦模様だった…
前述の本には、手ぬぐいを縦に使った著者考案のパンツの作り方も載っているのだけど、どうしてもパンツの幅にゆとりが少ないのが気になるし(おむつの上には厳しそう)、パンツは丈夫さを優先してミシンも使いたい。
そんなわけで、手ぬぐい布を縦に使うやり方で、ある程度パンツの幅にゆとりがあり、かつミシンで縫う(手縫いもOK)パターンを考えてみた。
要は、3枚はぎのトランクスである。
パンツ丈がどうしても短くなってしまうのが気になるけれど、暑い季節に着るものだしまぁいっかな、と思う。
今は洋服地を使って作る人がほとんどだと思うので、あまり需要はないかもしれないけれど、もし私と同じように「縦模様の手ぬぐい1枚を使って甚平パンツを作りたい!」という人がいれば、こんなやり方もあるんだなー、と参考になれば嬉しいです。
もしくは、上記の本を参考にしてみて下さい。
早く暖かい季節にならないかな。
大人かわいいパーマンバッチ
note記事(2021/11/12)より転載
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ずっとパーマンバッチが欲しかった。(おばさんの告白)
しかも、大人が付けても違和感が無いようなやつ。
一見気付かないけど、良く見たら「あれ?それ、もしかして…パーマンバッチ?!」みたいな感じがよい。
パーマンバッチは昔ガチャガチャで売っていたようだけど、色鮮やかなプラスチック製なので、大人が付けるにはちょっと気が引ける。
いや、大人が付けてても良いんだけど、私には堂々と付ける勇気がない。
初め、皮で作ろうかと考えた。でも、皮仕事はそれ用の道具を揃えないといけない。
でも他に皮で作りたいものも思い付かないし、それっきりになってしまいそうで勿体ないかなと思って止めた。(キャメルのパーマンバッチはきっと素敵。)
が、ある日創作の神様からアイディアが降りてきて、ビーズ刺繍で作ることにした。
子供の頃から手芸や工作が好きで、幸い大体の道具は揃っているのですぐに着手できた。
初ビーズ刺繍、下書きをフェルトに写して、もくもくと針を差す。
これに限らずだけど、何かを作っている間は没頭してしまって瞑想状態になれる。
私にとって大切な時間だ。
不思議とこの時は体の痛みも遠のく。(もちろん、体のしんどさが勝って何も出来ない事もある。)
「心頭滅却すれば火もまた涼し」というのは、完全に目の前のことに集中することによって体感出来るのかもしれない。
ちなみに、「大人女子」とか「大人かわいい」とかいう言葉は、自分の目指すところではないし、いまいち好きじゃない。
私の憧れる女性は、草笛光子さんのような凛としたたたずまいの方。(御年88歳!)と同時にチャーミングな面もあり、とても魅力的。
でも、大人かわいい、というのとはなんだか違う。
ただ、出来上がったパーマンバッチを見て、私の貧しいボキャブラリーではそうとしか言いようがないので、それで良いことにする。
あとはこれを付けてお出かけ出来るようになることが目標だ。
最終的には幸せな人しか生き残らない説
note記事(2021/10/19)より転載
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ふと思ったこと。
もし、この地球に大きな隕石がぶつかったり、破滅的な大戦争が起こったり、生物が生きられなくなるような環境の大変動があったりして地球から人類が滅亡してしまわなければ、何百年後とか何千年後には、地球は幸せな人(=自分で自分のことを幸せだと思っている人)しか生き残っていない、幸せな人だらけの星になっているんじゃないか、ということ。
なんでそう思ったかっていうと、不幸な人(=自分で自分のことを不幸だと思っている人)は、常にストレスがあるから免疫力も低くなりがちで、いろんな病気にかかりやすかったり、かかった時に治りにくかったりする。
それに不幸によって生きる気力が足りないと、ここぞという時に踏ん張って生きのびるということができないと思うのだ。
何事もまず意志ありきで物事は起きていくのだから、人間の意志の力は侮れない。
そして、幸せな人はその逆だ。
それで、不幸な人は自然と淘汰されていくんじゃないかな、幸せな人の遺伝子が生き残っていくんじゃないかな、と思ったのだ。
もちろん、これは最低限の衣食住が全ての人に保証された世の中であることが前提の話だけど。
体や心のことを自分なりに考えて学んでいくうちに、何となくそういう考えに行き着いたわけだけど、スピリチュアル界隈ではこういうのって当たり前の話なのかもしれない。(次元上昇とかそういうやつ?良く分かってないけども。)
じゃあどうやって幸せな人になるのか?
まず出来ることは、意識して幸せなことに目を向けることだろうなと思う。
以前の私はテレビ等のメディアから流れてくる悲しい・辛いニュースに自ら好んでアクセスしていて(それも無意識的に)この世界の未来に絶望感を感じたり、山積みの問題を何とかしなければと焦っていた。
でも最近では、そういうマイナスの情報に意識的にアクセスしないようにしていて(これは問題を見て見ぬフリをするのとは違う)、逆に自分の気持ちを明るくするようなプラスの情報に意識を向けるようになった。
そうしたら、世の中捨てたもんじゃないかもと思える、明るい話題がたくさん見つかるようになった。今まで見ようとしていなかっただけで、実は喜びや希望に満ちた出来事はそこらじゅうにあったのだ。
きっと幸も不幸も同じくらい有って、見る人によってその量は増えたり減ったりする。
自分の周りに幸せなことがたくさん見つけれたら、それだけでずいぶん心が明るくなる。
難しい病気だって、奇跡的に治癒した人の話をたくさん見聞きしていたら、自分にもそれが起こるかもしれないって希望が持てるし、それはきっと何であっても同じなんだろう。
残念ながら、今生での私は幸せな人だらけの地球に生きることは出来ないけれど、そんな遠い未来に思いを馳せるとちょっとワクワクするし、少しでもそこに近づきたいから、出来るだけ幸せでいようって思うのだ。
子供と、生まれる前の記憶と、沸き上がる希望と
note記事(2021/9/29)より転載、一部修正
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自分の事が嫌いだった頃は、子供を欲しいとは思わなかった。
相手に似ていれば良いけど、もし自分に似てしまって、その子供が目の前にいたらと想像するとゾッとした。
自分の嫌な部分を凝縮したようなその子(想像上の)をちゃんと愛せるとは思えなくて、そんな子は生んではいけないとさえ思っていた。
長い時間をかけてようやく自分の事を好きになった今は、自分にそっくりな子供がいたら愛おしくてしょうがないだろうし、「大丈夫だよ」と、ぎゅっと抱きしめてあげるだろう。
あと、幼い頃から年配者ばかりに囲まれて育ってきた私は小さな子供が苦手だったけど、今は子供はどの子もみんな可愛くてしょうがない。
ある時この事に気付いて、まるで自分の中の呪いがとけたように感じた。
これはただ、私が歳をとったということなのだろうか。
皮肉なことに、折角呪いのとけた私は、もう子供を授かる体でも無くなっていた。
どうして人はそれを得られないと分かると、更に求めてしまうのだろう?
というか、そもそも私は何のために子供が欲しいと思ったんだろう?
先日、「おかあさん、お空のセカイのはなしをしてあげる!胎内記憶ガールの日常」(竹内文香・著)という、胎内記憶・中間生記憶を持つ子供の話を読んだ。
生まれる前の記憶を持つ子供は結構たくさんいるみたいで、ネットで調べればブログ等で体験談がいくらでも出てくるし、本であれば産婦人科医の池川明さんのものが有名だろう。
残念ながら私の一番古い記憶は多分1~2歳頃のものだ。(世間では3~4歳頃が一般的みたいなので、私は古い方だと思うけど)不思議で壮大な生まれる前の世界のことを覚えているなんて、単純に羨ましい。
読み始めから最後まで号泣しながら読んでしまった。
あたたかい感動だけでなく、胸がきゅっと締め付けられるような複雑な気持ちが入り交じりながら。
「子供は両親を選んで生まれてきた」という話は、受け取り手によっては、とても嫌で辛い気持ちにさせるものだ。
貧困や虐待など酷い家庭環境に生まれ育ってきた人にとってはとんでもなく受け入れ難い話だし、子供が欲しくても授からなかった人にとっては「自分は選ばれなかった」という悲しみに打ちのめされるだろう。
著者はその辺もとても気に掛けられていて、語られるエピソードや読者へのメッセージにも配慮が感じられた。
辛くて受け入れられない人は、本当かどうかも分からないこの話を受け入れる必要は全くなくて、「冗談じゃない」と言ってさっさと忘れてしまうのが良い。
そして、自分を追い詰めたり悲しくさせる考えじゃなくて、もっと自分を楽に幸せにする考えを取り入れたら良いと思う。
人生で取り組むべきことって、自分自身を幸せにすること以外にないと思うから。
私はというと、少し複雑な気持ちがありつつも、そんな不思議な見えない世界のことを信じたいなぁと思った。
本に書かれてある感じでは、空の上の赤ちゃん達は、下界の私達と違ってとても気楽で幸せそうに見えたし、それに「生まれる前に自分で決めてきた」のなら、どんなに辛いことがあってもなんとか乗り越えられる、ということの証のような気もするからだ。
「こんなに酷い状況で一体どうしたらいいんだろう、もうダメだ、おしまいだ」
となったらもうそこで終わりだけど、
「こんなに酷い状況で一体どうしたらいいんだろう、でもここから何を学べるだろう、どうやって這い上がれるだろう」
こう思えたら、少し力が沸いてくる。
だから、私はいつも後者の考えをするようにしている。
【私が好きな言葉】
☆人生でもっとも輝かしい時は、いわゆる栄光の時なのでなく、落胆や絶望の中で人生への挑戦と未来に成し遂げる展望がわき上がるのを感じたときなのだ。/ギュスターヴ・フローベール(小説家)
☆辛いという字がある。もう少しで幸せになれそうな字である。/星野 富弘(詩人)
新しい一歩 ~5周年記念~
note記事(2021/9/23)より転載
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本格的に体調がおかしくなってから今日でちょうど5年。
思えば、今までずっと日々移り変わる体調の事ばかり考えて生きてきた。
やりたいことはたくさん有っても、体がそれを許してくれない。
皆が普通にしていることが私には出来ない。
少し動けばすぐに寝込んでしまう。
「体さえ元気であれば、健康でさえあれば、何だって出来るのに…!」
私の頭は、どうやったら前みたいに元気な体を取り戻せるのか、いつになったら元気になれるのか、いつもそんな考えでいっぱいだった。
でも、もう病気を自分のアイデンティティにしたくない。
自分の人生の主導権を病気に渡したくない。私の幸せを体調に左右されたくない。
だから、新しい一歩を踏み出すことにした。
オンラインで洋裁を習うことにしたのだ。
月額制ではないので、自分のペースで少しづつ進められて、しんどい時は気兼ねなく休める。
私はもの作りが好きで、洋裁でも和裁でも編み物でも工作でも何でも良かったのだけど、少し前に両親にパジャマやトランクスやエプロンを作ったら思いの外喜んで貰えたので、それで洋裁をすることにした。(なんと父は出来上がったトランクスを仏壇に供えていた!ご先祖様はどう思っただろう…笑)
私は体が小さいので、既製服も自分で手直しすることがあるのだけど、やっぱり素人ソーイングだと複雑な直しは上手く出来なくて、前々からちゃんと習いたいと思っていたのもある。
ただ、「ちゃんと」習うとかなりのお金と時間がかかるし、仕事になる訳でもないし、と思って二の足を踏んでいた。
もちろん、オンラインであっても習うにはそこそこお金がかかるので、私にとっては大きな決断だった。
でも、体を壊して色んな事がままならない日々を過ごす中、自分にとって本当に大切なこと、守りたいもの、夢中になれること、好きなことが何かというのがよーく分かったので、思いきって自分に投資することにした。
会社員時代はお給料をたくさんの物事に費やし、それでも満足することなく次々と新しいものを手に入れようとした。
これはひたすら消費(浪費?)を促す世の風潮にまんまと乗せられていたので仕方なかったと思っている。
クローゼットに溢れる服、靴、鞄、化粧品、etc.,今はそれらはほとんど要らない。
今必要なのは、最低限の着心地の良い服や靴、僅かなスキンケア用品、心地の良い寝具、安心できる美味しい自然な食べ物。
そして、私を励ましてくれる庭の植物や木々。
自分で作れるものは作る。
幸い作るのが好きで、その作業を楽しんでいる。
洋裁の技術がどれだけ役に立つかは分からない。
ましてや仕事になるなんて思っていない。
でも、私は「作ること」が好きだから、自分の役には立つ。これからは、自分にとって大切なことや好きなことのために、そして人を喜ばせるために、時間とお金を使いたい。
人生の折り返し地点あたりに差し掛かって、改めて残り時間の使い方を意識する。
「時間=命」、大切にしなければ。
私という命を終えるその時に、あぁ良い人生だった、と心から思えるように。
世の中はコロナの影響もあり、オンラインの環境がかなり整ってきた。
こういった社会環境の変化は私のような自由に動けない人にとってはとても助かる。
そんな後押しも受けて、少しづつ、一歩づつ、前へ進む。